小島和夫先生

小島和夫先生を偲んで  越智 健二

小島和夫先生
小島和夫先生

2月初旬にお見舞いに伺った時は,「今日は散髪をして気持ちがいいよ」とおっしゃって,ご自慢の歌の一節を, 病室の外へ聞こえるのではないかと,こちらが気を遣ってちょっと外を見渡すくらい元気なお声で歌われました。 先生からお預かりした熱力学の新しい原稿の出版のこと,3週間後の2月23日に先生が傘寿を迎えられることなど, いつもと変わりがない歓談のひと時を過ごしました。この分ならば回復されるのも近いのではないかと期待と祈りを 胸に病院を後にしました。それだけに先生のご逝去は残念この上なく思っております。

 

先生は昭和26年に日本大学工学部(現在の理工学部)工業化学科を卒業され,そのまま助手として大学に残られました。 翌27年には化学工学研究室を創設されました。卒業研究第1期生の先輩方は当時を「昭和27年というとラジオドラマの "君の名は"が始まると銭湯の女湯がガラガラになると云った話題の年で,まだ終戦の余韻が残る, 就職状況も最低の暗い時代だった。しかし,研究室は英気に溢れ,それは明るい場所だった。 小島先生は研究室の奥で外国の文献に没頭されていることが多かったが,一区切りつくとリルケやニーチェの詩集を 引用した青春談義に花が咲いた。また自然に恵まれた神奈川県愛川町のご実家に招かれ,先生のアコーディオンの 演奏で皆んなで歌ったことが懐かしく思い出される」と回想されています。先生の情熱は門下生へのメッセージや詩の 創作にも込められています。門下生一同に送られたメッセージの一篇を紹介させていただきます。

 

サピエンティア 津川草一 -化学工学研究室の諸君に捧ぐ-

私達が真理の探究者であるという事を忘れまい。
この生き生きとした自覚を軸として躍動する透明な思念と情熱の座標をふかく捉えていこう。
私達が美しい魂であることを恒に願おう。闇がふかい霧のようにおりて来てひとびとの言葉が 理解できなくても,自らの真実をデーモンに賣ってはならない。
果てしなき自然の黙示にパスカルと倶に叫ぼう。
「この無限の空間の沈黙は私を戦慄せしめる」と。
私達がみんな若人であることを意識しよう。その歩みは拙く,その唇に溢れる感動は幼くても, 叡智は私達の友であり,私達の血はまた精神の辧証に酔わされてはいない。だから私達の希望は鋭い。 それは怒号する渓流のしぶきに似ている。今日も私達は育つ。
(1952年7月18日)

津川草一というのは先生が郷里を流れる中津川にちなんで付けられたペンネームで, 先生はペンネームにも情熱を込められていたのだと思います。

 

先生は昭和22年にカトリック教徒としての洗礼(洗礼名ヨハネ・マリア・ヴィアンネ)を 受けられたとのことです(洗礼名のことはご葬儀のときに神父様から初めて伺いました)。 46年以上続けられた研究室での青春談義は求道者としての情熱に由来していたことが偲ばれます。

 

先生は昭和36年に「回分蒸留に関する研究」で東京工業大学から学位を受けられ, 次の研究テーマとして考えておられた相平衡物性の研究に移られました。私が先生のご指導を いただくようになったのはその頃で,昭和34年の暮れに卒業研究生として入室し,先生から大学に 残るよう勧めていただいてからです。たまたま研究室のスタッフは先生お一人でしたので 取り敢えずお声をかけて下さったのだと思います。入室当時先生が博士論文をまとめておられましたので, そのお手伝いで明けても暮れてもご一緒させていただいたことが懐かしく思い出されます。

 

先生は大学を定年で退職されて二年後に膵臓癌の手術を受けられました。 その後お元気になられて平成13年に「かいせつ化学熱力学」を出版されました。 「原稿を書いていると元気が出るよ」とおっしゃられて,手術後の活力を執筆に 求められていたように思います。平成15年に「化学系のための統計熱力学」, 16年に「エネルギー有効利用の原理」を出版され,カトリック教徒としての厳しい求道に 通じる哲学をもってご病気に立ち向かわれたのでありましょう。 私の狭い思考の範囲では先生の人生哲学を十分に言い表わすことができませんが, 先生の哲学は闘病の間にまとめられて平成18年に出版された「邂逅の旅」に記されています。 そして平成18年の暮れに「熱力学読本(仮称)」の原稿を私に託されて病床に伏されました。 一日も早い出版を待ち望んでおられましただけに,残念で仕方ありません。 今はひたすら先生のご冥福をお祈りするばかりでございます。

(日本大学名誉教授 越智健二)

化学工学会編「化学工学」71巻6号・留和会55周年記念会式次第より

年譜

1927年(昭和2年) 2月23日 神奈川県愛甲郡愛川町半原で生まれる
1933年(昭和8年)

 

半原尋常小学校入学
1939年(昭和14年)

 

神奈川県立(旧制)厚木中学校入学
1944年(昭和19年)

 

日本大学予科理科進学
1947年(昭和22年)

 

日本大学予科理科修了
日本大学工学部電気工学科進学
1948年(昭和23年)

 

日本大学工学部工業化学科転科
1951年(昭和26年)

 

日本大学工学部工業化学科卒業
日本大学工学部工業化学科助手
1952年(昭和27年)

 

工業化学科に化学工学研究室を創設
1953年(昭和28年)

 

化学工学研究室第1回卒論生卒業
1956年(昭和31年)

 

日本大学工学部工業化学科専任講師
1961年(昭和36年) 1月13日 東京工業大学より工学博士を受ける
(テーマ・回分精溜に関する研究)
日本大学理工学部(名称変更)助教授
1965年(昭和40年)

 

日本大学理工学部工業化学科教授
1968年(昭和43年)

 

「化学技術者のための熱力学」を培風館より出版
1970年(昭和45年)

 

アメリカ・サンタクララ大学留学(1年間)
1975年(昭和60年)

 

「エンジニアのための化学熱力学入門」を培風館より出版
1977年(昭和52年)

 

「プロセス設計のための相平衝」を培風館より出版
室蘭工業大学非常勤講師(1年間)
1979年(昭和54年)

 

「Prediction of Vapor-Liquid Equilibria by the ASOG Method」をElsevierより出版
東京農工大学非常勤講師(10年間)
1984年(昭和59年)

 

広島大学非常勤講師(1年間)
韓国・壇国大学校客員教授
中国・南京化工大学各員教授
日本大学理工学部図書館長
1985年(昭和60年)

 

化学工学会理事(編集担当)
1986年(昭和61年)

 

中国・南京化工大学客員教授
「ASOG およびUNIFAC」を化学工業社より出版
1988年(昭和63年)

 

ポーランド科学アカデミー物理化学研究所客員教授
中国・大連理工大学客員教授
1989年(平成元年)

 

「入門化学工学」を培風館より出版
神戸大学非常勤講師(1年間)
CODATA (Committee on Data for Science and Technology)委員
Fluid Phase Equilibria (An International Journal)編集委員
1990年(平成2年)

 

「山里抄・小島スエ歌集」を(株)秀峰より自費出版
1991年(平成3年)

 

東京都立大学非常勤講師(1年間)
「父を看る」を(株)秀峰より自費出版
1992年(平成4年)

 

韓国・西江大学校客員教授
中国・南京化工大学客員教授
分離技術懇話会会長
1994年(平成6年)

 

アメリカ化学会「Journal of Chemical and Engineering Data」編集委員
1995年(平成7年)

 

中国・清華大学客員教授
1996年(平成8年)

 

ポーランド科学アカデミー物理化学研究所賞を受賞
1997年(平成9年) 2月22日 日本大学を定年にて退職
1997年(平成9年) 3月13日 日本大学名誉教授
1997年(平成9年) 4月 「エネルギーとエントロピーの法則―化学工学の立場から―」を培風館より出版
2001年(平成13年) 11月 「かいせつ化学熱力学」を培風館より出版
2003年(平成15年) 11月 「化学系のための統計熱力学」を培風館より出版
2004年(平成16年) 1月 「エネルギー有効利用の原理―エクセルギーを活かそう」を培風館より出版
2006年(平成18年) 10月 「邂逅の旅」を岩波出版サービスセンターより出版
2007年(平成19年) 2月18日 ご逝去 享年79歳
2007年(平成19年) 4月23日 正五位瑞宝中綬章を受章